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Harry S. Truman
  ハリー・S・トルーマン
  米国第33代大統領


ルーズベルト大統領の死を受けて1945年に副大統領から大統領に昇格した。

軍部、政治家による反対を押し切って、日本への原爆投下の投下書類(投下命令書)を承 認した。
  日本へ計18発もの原爆投下を承認していた一方で、 長崎投下後に「さらに10万人も抹殺するのは、 あまりにも恐ろしい」として、3発目以降の使用停止を命令している。
Franklin Delano Roosevelt
  フランクリン・デラノ・ルーズベルト
 米国第32代大統領


1939年に原子爆弾の開発計画であるマンハッタン計画を推進した。
政治史上で唯一四選された大統領。
大恐慌後の景気刺激策「ニューディール政策」を行なう経済大統領としての顔を持つ一方で、 強烈な人種差別主義者としての一面を持つ。
 マンハッタン計画を推進するも、1945年4月12日在任中に脳卒中で死亡。
 
Paul Warfield Tibbets, Jr.
ポール ウォーフィールド ティベッツ, Jr
広島原爆投下機長


原爆を投下したB-29エノラ・ゲイの機長であり、原爆投下部隊の隊長でもある。

投下場所として広島を選定したのも彼である。
戦後も原爆実験に助言し、戦略爆撃機の開発に貢献した。
なお、エノラ・ゲイは彼の母の名。
Curtis Emerson LeMay
 カーチス・エマーソン・ルメイ
 第20航空軍司令官


原爆投下作戦の現地の最高責任者。

無差別絨毯爆撃による日本本土の焦土作戦を立案・指揮した。
戦後は戦略航空軍団司令官となり、核兵器と戦略爆撃機を握る。
ベトナム戦争における「北爆」を立案している。

1964年、彼の功罪を考えれば決して許されぬありえない事だが、 日本政府は、勲一等旭日 大綬章を授与した。
Albert Einstein
  アルバート・アインシュタイン
    理論物理学者

  ユダヤ系ドイツ人・”量子力学”及び”相対性理論”公式にはマンハッタン計画に参加してはいなかったが、 彼が発表した「質量はエネルギーと等価である」とする式が原爆の存在に示唆を与え、 ルーズベルト合衆国大統領へ原爆開発を奨める書簡に署名する。
J. Robert Oppenheimer
    ロバート・オッペンハイマー
     原爆の父


原爆を開発したロスアラモス国立研究所の所長としてマンハッタン計画を主導。
「原爆の父」として知られるが、彼自身は原爆を戦争を根絶するための道具と見ていた。

戦後は核兵器に反対の立場を取るようになる。
Leslie Richard Groves
    レズリー・リチャード・グローヴス
     マンハッタン計画指揮官・准将


陸軍マンハッタン工兵管区(マンハッタン計画の秘匿名称)司令官

Henry Lewis Stimson
    ヘンリー・ルイス・スティムソン
     Interim Committee委員長


陸軍長官。
マンハッタン計画の最高監督官を務め、広島と長崎への原爆使用を決定した。

James F. Byrnes
    ジェームズ・F・バーン
     Interim Committeeメンバー


国務長官。 大統領全権代表でもある。

George Catlett Marshall
     ジョージ・C・
マーシャル     陸軍参謀総長     1953年ノーベル平和賞受賞

陸軍元帥。戦後はマーシャル・プランによってヨーロッパ復興を指導した。

J. Robert Oppenheimer
     ジェームズ・B・コナント 
     Interim Committeeメンバー


国家防衛研究委員会委員長。科学者・ハーバード大学総長 。

Vannevar Bush
     バニーバー・ブッシュ
       Interim Committeeメンバー


科学技術研究開発局長。
アメリカの技術者及び科学分野における管理統括者・カーネギー協会理事長。
Karl T. Compton
    カール・T・コンプトン
     Interim Committeeメンバー 


マサチューセッツ工科大学学長。
Arthur Holly Compton
     アーサー・H・コンプトン
         
 1927年ノーベル物理学賞受賞


実験物理学者・全米科学アカデミー委員会委員長. free electron(自由電子)によって散乱されたX線の波長が長くなっていることを実験によって発見した(コンプトン効果)。
Leo Szilard
    レオ・シラード
          物理学者


ハンガリー生まれの米国ユダヤ人・原子爆弾開発のきっかけを作った人物。最初の制御された連鎖反応炉を作った。
Edgar Sengier
     エドガー・サンジエー
         山師


Union Miniere du Haut Katanga(UMHKユニオン・ミニエール・デュ・オート・カタンガ) コンゴのウラン鉱山経営会社 マンハッタン計画のために必要なウランの多くを集めた
Hans Albrecht Bethe
    ハンス・ベーテ
    
1967年ノーベル物理学賞受賞


シュトラスブルク(当時ドイツの一部、現在フランスのストラスブール)出身の物理学者。。
ロスアラモスの理論部門の監督。
星の内部におけるエネルギー生成に関する発見。
Antoine Henri Becquerel
    アンリ・H・ベクレル
    
1903年ノーベル物理学賞受賞


フランスの物理学者。放射線の発見者。
Alvin M. Weinberg 
     アルヴィンM・ウェインバーグ
      核物理学者
  (写真左)

オークリッジ国立研究所の物理学部局長。
1943年にマンハッタン計画の一部として建設され、その後にオークリッジ国立研究所となった。
マンハッタン計画のオークリッジでの目標は、核兵器に使用するためのウランとプルトニウムの分離精製であった。
Eugene Paul Wigner
    ユージン・ウィグナー
   
1963年ノーベル物理学賞受賞


ハンガリー出身のユダヤ系物理学者・原子核および素粒子に関する理論への貢献でノーベル物理学賞
Edwin Mattison McMillan
     エドウィン・マクミラン
   
 1951年ノーベル化学学賞受賞


カリフォルニア州出身の化学者。レーダーやソナー、核兵器の研究に携わる。超ウラン元素の発見。
J. Robert Oppenheimer
    エミリオ・セグレ
   
1927年ノーベル物理学賞受賞


イタリア生まれ・反陽子の発見に対してノーベル物理学賞
Emilio Gino Segre
    エンリコ・フェルミ
    
1938年ノーベル物理学賞受賞


イタリア出身シカゴ大学原子科学者・マンハッタン計画でも中心的な役割を演じた。中性子衝撃による新放射性元素の発見と熱中性子による原子核反応の発見。
Ernest Orlando Lawrence
    アーネスト・O・ローレンス
    
1939年ノーベル物理学賞受賞


サウスダコタ州出身の物理学者。カリフォルニア大学教授。兼バークレー放射線研究所所長。 質量分析法によるウラン235の工業的分離に成功・サイクロトロンを用いた多くの人工放射性元素の発見。
Glenn Theodore Seaborg
    グレン・セオドア・シーボーグ
    
1951年ノーベル化学賞受賞


ミシガン州出身の化学者 、物理学者。
公式には計画に参加しなかったが、彼の発明がこの計画の中でプルトニウムが重要であるとの方向に導いた。 加速器を用いて多くの新元素を発見 超ウラン元素の合成でノーベル化学賞。
Harold Clayton Urey
    ハロルド・ユーリー
    
1934年ノーベル化学賞受賞


インディアナ州出身の物理学者。
重水素発見の功績によってノーベル化学賞を受賞した。 マンハッタン計画に参加し、ウランからウラン235同位体のみを得るための気体拡散法を開発し、原子爆弾の実現に一役買っている。
James Chadwick
    ジエームス・チャドウィック
    
1935年ノーベル物理学賞受賞


英国マンチェスター出身の物理学者。
1932年に中性子を発見。大戦中はアメリカでマンハッタン計画に参加し、大戦後ケンブリッジに戻り、放射性物質からのガンマ線の放射、α線照射による元素の変化、原子核の研究を行った。
Niels Henrik David Bohr
    ニールス ・ボーア
    
1922年ノーベル物理学賞受賞


ユダヤ系デンマーク出身の理論物理学者。
原子核分裂の予想は、 量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。 マックス・ボルン宛にアインシュタインが書いた手紙("Der Alte wurfelt nicht."神はサイコロを振らない)に反論した名言 ("Einstein, schreiben Sie Gott nicht vor, was er zu tun hat."アインシュタインよ、神が何をなさるかなど、 注文をつけるべきではない)がある。
Norman Foster Ramsey
    ノーマン・ラムゼー
    
1989年ノーベル物理学賞受賞


ワシントンD.C.生まれのアメリカ人物理学者。 ロスアラモスチーム.副チーフ。 
ラムゼー共鳴法の開発。
Owen Chamberlain
    オーウェン・チェンバレン
    
1959年ノーベル物理学賞受賞


サンフランシスコに生まれのアメリカ人物理学者。
陽子散乱実験の結果、反陽子を発見した。
Pierre&Marie Sk?odowska Curie
    マリーとピエールキュリー
    
1903年夫婦でノーベル物理学賞受賞・1911年夫人単独でノーベル化学賞受賞


キュリー夫人で名高いポーランド(ポーランド立憲王国)出身の物理学者。 女性としては最初のノーベル賞受賞者であり、物理学賞と化学賞を受けた唯一の人物である。
夫ピエールはフランスの物理学者。
pitchblende(瀝青ウラン鉱)の残渣からラジウムとポロニウムを精製、発見した。
Richard Phillips Feynman
    リチャード・P・ファインマン
    
1965年ノーベル物理学賞受賞


ニューヨーク市出身のユダヤ人物理学者。
経路積分や、素粒子の反応を図示化したファインマンダイアグラムの発案でも知られる。
量子電磁力学の発展に大きく貢献した。
Roy Jay Glauber
    ロイ・ジェイ・グラウバー
    
2005年ノーベル物理学賞受賞


ニューヨーク市出身の物理学者。
光学コヒーレンスの量子論への貢献でノーベル賞受賞。

James Franck
    ジェイムズ・フランク
    
1925年ノーベル物理学賞受賞


ドイツ出身のユダヤ系物理学者。
1945年6月11日にグレン・シーボーグ、レオ・シラードらと核兵器の使用に反対するフランクレポートを発表した。
Felix Bloch
    フェリックス・ブロッホ
    
1952年ノーベル物理学賞受賞


スイス出身のユダヤ系物理学者。
ロスアラモス国立研究所で原子力エネルギーの研究を行う。
戦後、核誘導と核磁気共鳴の研究に専念し、 核磁気の精密な測定における新しい方法の開発とそれについての発見。
Maurice Hugh Frederick Wilkins
    モーリス・ウィルキンス
    
1962年ノーベル生理学・医学賞受賞


ニュージーランド出身の英国人物理学者。
X線構造回折の分野で多くの業績を残した。
核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見。
Edward Teller
    エドワード・テラー
    水爆の父


ハンガリー生まれでアメリカに亡命したユダヤ人核物理学者。水爆の父と呼ばれた。



Marcus Laurence Elwin Oliphant
    マーク・オリファント
    


オーストラリアの物理学者。
ヘリウム3、3重水素を発見し、重水素の核融合を発見。
Ernesto Rafael "Che" Guevara de la Serna
     エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ


医師、マルクス主義革命家で、キューバのゲリラ指導者。
キューバ革命を達成した1957年の7月、革命政府の使節団を率いて来日したゲバラは、 「他の日程をすべてキャンセルしても原爆慰霊碑に献花したい」と訪問予定になかった広島を訪れた。
 そして、原爆資料館を見て回った後、 「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて腹が立たないのか」と、案内役の県庁職員に問うた。
   
   
 
 
©原爆ヒロシマ製作委員会